黒木知宏投手のこと

かもめちゃん

2007年10月08日 13:40

公式戦でマリーンズが2位となり、
千葉マリンでのCS(以前のプレーオフという言い方のほうがよかったな)開催となって喜ばしい限りである。

が、ついに今年限りで黒木投手が戦力外になってしまったことは、
やはり残念といえば残念である。
押しも押されぬエース級のピッチャーであり、ファンを大切にする謙虚な態度から、
絶大な人気を誇ってきた。
カタログのモデルを勤めるほどのイケメンでもあり、それに、宮崎訛りもあることから、
九州在住の他球団のファンでも、黒木のことはわりと好きなんではないかと思う。
私自身も、黒木投手にはできればもう一度復活し、引退までマリーンズにいて欲しかった。


もちろん私も、黒木投手を間近でみたことがある。
10数年前の秋、千葉三越の屋上でやっていたトークショーでのことである。
その年の新人の小坂誠選手と一緒に出て、小坂選手のことを「マコちゃん」と呼んでいたことを覚えている。



黒木投手といえば、1998年7月7日の悲劇の伝説があるが、
実は私、そのシーンを生で見た、数少ないファンなのである。
どうしてこの日、よりにもよって(自宅の近くではない)神戸にいたかといえば、
観光を兼ねて神戸に夏の旅行で来ていたからである。
そして、この日にちにしたのは、当時やっていたアルバイトの都合である。
要するに、たまたま7日になったのだが、
後から考えれば、この日見に行けて本当によかったと思う。



この7日の朝、夜行バスで神戸に到着。
その後、神戸市内の金券ショップでグリーンスタジアム神戸
(今はスカイマークスタジアムとかいうのかな?)の3塁側内野自由席の券をゲット、
その後、布引の滝ハーブ園とか六甲山を散策してから、
夕方になり、スタジアムに向かったのである。


この日の試合内容については、他でも詳しく書かれているので、そちらをご覧いただきたいが、
9回ウラに黒木投手がHRを打たれたときは、ありきたりな言い方だけど、
「うそだろー」という、信じられない気持ちだった。
だって、本当に連敗の記録を更新するなんて考えられなかったからである。


それとこの日印象的だったのは、
3塁側の席で、野次や非難がましいことは一切口にせず、
励ましの言葉でマリーンズを応援していた、マリーンズファンの暖かさである。
こんな、連敗記録が取り沙汰されるような状況だと、
口汚くののしるファン(そういうのは正確にはファンとはいえないんだろうけど)が
野球場には絶対にいるのだが、
この日のグリーンスタジアムには、正真正銘、そういう野次を飛ばすマリーンズファンは、
一人もいなかった。
それは、私がこの目で見たので、きっぱりと断言することができる。




たまたま、インタネットでこの日の様子を写した動画を見つけた。

赤枠で囲った中に、私は座っていた。



私はいつもは、内野席で観戦していて、外野席のファンとは全然交流がないのだが、
この日だけは、外野席のマリーンズファンのところに駆け寄って、
握手でもしてもらいたいような気になったのである(でも、そうする勇気が出なかったけど)


黒木投手もファンも、この日の出来事で非常に悔しい思いをしたはずだが、
この日のことは、このチームのファンになったことを
誇りに思えるような気にさせてくれるようなものだったな。


その後、黒木投手は、低迷しているチームを一人で背負い込むかのように
頑張って投げ続け、そのためにエースクラスの選手生命を縮めてしまったかのような
人生をたどっていったのは、ご存知のとおり。
そういう経緯があったからこそ、ファンにみんなは彼の復活を待っていただろう、と思う。
それが逆に、黒木投手がマリーンズからいなくなってしまうことになり、
一つの時代が終わったことを感じさせる。

もちろん、最近マリーンズが強いこともあり、球場には多くのファンが詰め掛けてにぎやかなのは喜ばしいことなんだけど、
あの、低迷していたころの、すいている球場で好きな席に座り、隣に荷物を置いて
のんびりと野球を見ていた頃も、結構懐かしかったりする。







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